晩秋のさぎの湯と裏街道野仏列伝旅
会津磐梯山麓も晩秋となり、心寂しく野に佇む野仏に何故か目を合わす季節でもあります。猪苗代地方には、むかし東西に二つの街道があった。北の街道は、本宮宿から楊枝峠を経て壺下(つぼおろし)、関脇・都沢から観音寺を抜けて、西館の舟渡し場で長瀬川を渡り猪苗代城下に入る。
城下から、土田椻に沿って土田集落。大寺。八田野。明留(あかる)坂。松窪。藤原を抜けて綿掛橋を渡り西へ向かう滝沢町蚕養国神社への道。これを当時は、二本松街道と呼んでいた。
この街道は下街道とも呼ばれたが、若松城下から福島などの中通りへの道筋であった。
また、会津藩祖保科正之の墓と正之を祀る土津神社へ藩主が参詣するのにも利用され、若松城の支城でもある猪苗代城の往還路としても重要であった。
この下街道は、1892(明治25)年に新県道が街道のすぐ南側を開通したことにより、衰退の一途をたどった。この二本松街道の南側を通る二本松裏街道もあった。
これは、関戸から西側へ向かい金曲を通り、長瀬川を渡り、猪苗代湖の北岸沿いに、入江。三城潟。長浜から戸ノ口、強清水を通り沓掛峠。滝沢峠を越えて、滝えん沢町の蚕養国神社に至る上街道とも呼ばれた。
この二本松裏街道は、国道49号線に沿う通りで現在も使われている。 この二つの街道を結ぶのが、三城潟から猪苗代城下まで通る街道であった。
散策路の終点に、人気のお蕎麦屋さんがあります。
いわはし館で、お蕎麦を楽しんだ後は磐梯山麓に広がる秘湯温泉を訪ねました。
安政3年頃に開湯したと伝えられる、押立温泉さぎの湯。現在では、昔の泉質(弱塩類硫黄泉)とは異なった温泉(ナトリュウムイオンが高い単純温泉)が引き湯されていました。温泉仲間の話では、この泉質が、筋が硬化した関節に効果があるとの事でした。 リゾートホテル源泉51度から配湯のため湯船泉温は41度。 今回お邪魔したさぎの湯は、昭和の時代には湯治客で賑わっていたそうです。 現在では、日帰りのお客さんが多いようですが、湯治療法は効果が出るまで長い時間が必要になってきます。塩化物高温泉で、筋肉と筋周辺の固着したが疲労を解きほぐすには、心身ともに開放感が必要になってきます。日に3回の温泉入浴。その度に身体を横にして休養する。これの繰り返しは5泊以上の時間が必要です。のんびりと、温泉保養をお楽しみください。
旧日本松街道の楊枝峠は、野口英世が猪苗代から東京に旅立つ時、この街道を本宮に向かって歩いて行った。「出世街道」でもあります。
そんな思い個込めながら裏街道を歩いてみると、道端脇には実に多くの野仏が並んでいます。四季折々に感じる風情は、何時しか和歌を口ずさみ自分の旅の思いを残せる事でしょう。季節柄寒い時期となりますが、夏場よりも秋から晩秋期。ましてや、地吹雪の季節に草鞋に編み笠スタイルで歩くのも乙なものかも。晩秋ともなると朝の気温は5度前後。日の中でも10度前後となります。降雪前の散策路は、危険も無く歩きやすいけど寒風吹き抜ける厳しい時もある。
そんな時には、やっぱり温泉です!冷え切った体を常温に戻して、失った身体活力を回復させる事ができます。騒音も無い一軒宿は、安政二年開業の押立温泉さぎの湯が一番お勧めです。何てたって、味噌から惣菜は全て自家製のお料理が並びます。勿論湯治宿ですから、格安料金で長期滞在も可能です。
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