母成峠の戦いで西軍(薩摩藩・長州藩など)が東軍(会津藩・新撰組など)を破って、会津領へ侵入すると、当時の城代・高橋権大夫は城を焼き払って若松へ撤退し、建物は全て失われ、ここに猪苗代城の城としての役割は終わった。
戊辰戦争後、猪苗代城跡地は荒廃したままの状態だったが、明治38年(1905年)に町内の有志が日露戦争の戦勝記念として桜を植樹し、その後、公園として整備され、現在も春になると、花見でおおいに賑わっている。また、野口英世は幼少時代に城跡でたびたび友人と遊んでいたという。平成13年(2001年)に城跡は「猪苗代城跡 附鶴峰城跡」として福島県指定史跡に指定された。
|