■十六橋は、猪苗代湖から流れ出る日橋川に架かる石橋で、会津若松城下へ入るための関門です。慶応4(1868)年8月22日、母成峠を突破した新政府軍は、会津若松城下へ進軍するために十六橋へ向かいます。新政府軍の進軍は早く、薩摩藩士・川村与十郎の部隊が到着した時、会津藩の奇勝隊が橋の破壊にとりかかっていましたが、強固な十六橋を落とせていませんでした。その間に川村の部隊は奇勝隊に向かって一斉に発砲。奇勝隊も火縄銃やヤーゲル銃で応戦しますが、相手のミニエー銃やスナイドル銃との力の差は歴然で、後退を余儀なくされます。こうして十六橋を
突破した新政府軍は、戸ノ口原へと進軍したのでした。
●この水門近くには、旧越後街道があり村々の佇まいが当時の風情を醸し出しています。雑木林には、沢山の野鳥の群れが飛来して、車の往来も少なく散策コースにピッタリです。